じぃのヒトリゴト🦀

この世界はちょっと息苦しいくらいが僕にとってはちょうどいい

#13 ボキャブラリー辞典

※これは2022年2月9日に掲載したアーカイブになります。なお、一部再編集しています。

 

「『あたりまえ』とは、そうなって少しでも不思議でない様子。変わったところがなく、ふつうである様子。」と一般的な辞書には載っている。

 

人間には一人一人違う思考をもち、「ボキャブラリー辞典」という辞書をもっている。よく例えられるのは、「言葉の引き出し」というものだ。僕のこの辞書に載っている『あたりまえ』は「社会が日常生活を具現化した言葉の定義。在り方。方法論。」である。実際、『あたりまえ』を『あたりまえ』にしたのは薄汚れた社会そのものである。人間はこの薄汚れた社会に気付かず、これが『あたりまえ』だと思い込んでいる。きっと『あたりまえ』という言葉に対して違和感を持たないのもそういうことだろう。人間同士が『あたりまえ』を作り出すことにより、『あたりまえ』という言葉の定義が一般的な辞書のような意味となったのだ。現在の日本は、世界的に膨大なウイルスによって新しい『あたりまえ』となった。外出する時には必ずマスクを付けること。手洗い、うがいの徹底。感染防止の為に密集・密接・密閉を避けること。この新しい『あたりまえ』が作り出されたとしても、それが『あたりまえ』という言い方に変わり古い『あたりまえ』をする人間に対して軽蔑したような目で見るのだ。今はLGBT社会と言われており、男女の平等化が必要とされている。この「男女の平等化」というのも人間が勝手に作り出した『あたりまえ』の一部にすぎない。若者は新しい道を切り開く大切な勇者。だという人間がいる。僕的には年齢や性別は関係ないと思っているんだけど、他の人間からするとこういう僕も「お前なんか」と言われる対象だ。この世界の人間はもう少し心にゆとりを持った方がいい。人間なんて、生命なんて、いつどこで命を落とすかなんて誰にも何もわからない。この今まで生きてきた17年の中で、きっと何回も何十回も死ぬ経験をしてきた。物理的な死は1度も無かったとしてもその手前までは幾度となく経験してきたのだろう。

 

これは僕の考えのひとつ。例えば、『好き』という言葉がある。この『好き』にも友達として、応援者として、恋として、物として。色んな種類がある。年頃の人間はすぐ恋に発展させようと企む。僕のボキャブラリー辞典に載っている『好き』は「人間が何かに対して起こす衝動的な感情」とある。『あたりまえ』にも通用することなのだが、今は男同士だろうが、女同士だろうが。ましてや、男女だろうが関係ない時代だ。その時代を生きている人間ならば男女という関係性に複数存在してもいいのだろう。男女の関係に友達など存在しない。男女の関係は恋に発展する。そんな考えは現在の『あたりまえ』なのだろうか。少しずつ多数の人間が生きやすい世界になっているとは思うが、まだまだ生きにくい人間もいるだろう。そんな人間たちがいるからこそ、自殺者も増えるのだろう。死にたいとか、苦しいとか、辞めたいとか。言葉にする人間は心のどこかで「どうせ自分には関係ない」と思ってしまう。

 

ボキャブラリー』というのは「人間が知っている言葉の豊富さ」だけではない。本当の言葉の意味を知って理解している人間こそ兼ね備えているものだと思う。

 

『あたりまえ』とは「社会が日常生活を具現化した言葉の定義。在り方。方法論。または、人間自身がその場に応じて考えた社会の形を具現化した言葉」と僕は書き換えた。

 

 

 

 

 

 

この話はノンフィクションです。僕の実体験を用いた僕の考えですので、皆さんが思う考えは他にもあることを忘れないであげてください。

 

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あとがき

 

読んでる人はね、いきなりこいつ何言ってんだ?なんて思ったかもしれないんだけど。僕の長所でもあり短所でもあるのが「よく考えること」です。今回書いた「ボキャブラリー辞典」は、僕の気持ちであり読んでくださった皆さんに考えて欲しいことでもあります。このご時世があたりまえという時代になってきた今、僕たちには何が出来るのでしょうか。僕は周りを気にしすぎて周りの目線が怖くなり自分自身をさらけ出すことが出来ずにいました。今は昔に比べるとさらけ出すことが出来ているかもしれませんが、時々怖くなることがあります。その状況下で僕に手助けをしてくれたのがSNSという世界と恩人とも言える近所の方でした。僕は小学五年生の頃、いじめを受けていてクラスで孤立していました。何回も死にたくなったし学校にも行きたくありませんでした。でも、学校に行かないと親になんて言われるか分からない。親に説明することでさえ怯えていた僕は近所の方に全て話していました。その頃はまだスマホやパソコンを使ってもいなく近所の方に僕の気持ちをただただ話すだけでした。小学校を卒業する時にその恩人さんが卒業お祝いをくれ、手紙も書いてくれました。その時に、『ユイちゃんは、もうちょっと我を出して。だってユイちゃん面白いんだもん』と書いてありました。確かに、学校とプライベートでは180度僕の態度や生活は違いました。それは、僕のことをこの人なら理解しているや知ってくれているだろうという認識が強くあったからです。学校はさらけ出す間もなく、僕なんかという言葉の一点張りで何もかもが嫌になっていたところもあると思います。中学生になって、少しずつ友達の前で自我を出せるようになってきていました。それと同時に僕なんかという部分もあり複雑な気持ちでした。でも、その時は小学生と違い話せる同級生もいたので心置きなく自分のことをさらけ出していたかもしれません。受験期と重なった頃、そもそも中卒でもいいんじゃないかと考えていた僕はなぁなぁで受験勉強を始めました。その時にパソコンを家族で使えるようになりTwitterを始めることにしました。元々始めたきっかけは兄のTwitterを見つけフォローしよう!と思ったからでした笑。お兄ちゃんには即バレしたけど笑。その時に、今も一緒にいるツレや相棒と仲良くなり、SNSは1番自分の気持ちを話せるかもしれないと思いました。周りの目線が怖くて怯えていた僕には相手が見れない世界がとても気楽に生きられたんです。高校生になって学校の子と接する機会が多かったですが、このご時世とスマホを持つようになってからSNSの方が連絡も自分も心置きなく素直に話せていました。同じ夢を持つ人より近くにあるスマホの中の人の方が僕自身を打ち明けられるようになっていて、気付いたら高校二年生の三学期。僕には本気で友達だと思える人が学校には居なくなっていました。それでも、僕は生きています。学校で辛いこともありますが、僕にはこれを読んでくださっている皆さんや中学の頃の仲間たちがいます。そんな中SNSを通じて、仲良くなった人と連絡が取れなくなり自暴自棄になり毎日泣きわめき死にたくなったことがありました。その時の支えは以前も話したかもしれませんが僕のツレです。僕はこれから先も辛いことも楽しいことも経験していくと思います。それは僕だけでなく僕の周りや僕の知らない人皆さんが経験してきたことだと思います。僕は僕を好きになったことがありません。でも、僕自身が1番僕の理解者だという自信はあります。それが、今の僕のすべてです。