じぃのヒトリゴト🦀

この世界はちょっと息苦しいくらいが僕にとってはちょうどいい

#72 ありがとう、友よ

今日、私は学生生活の課程を全て修了する。この12年間私にとって学校という場は暗黒だった。
学校行事は嫌いといってもいいほど、クラスで団結するということに欠けていた私。
ただ、それは毎年当日以外の私だ。
学校行事当日は人一倍楽しんで無我夢中に駆け巡っていた。


体育祭、音楽祭、文化祭...


どの行事も楽しい反面すごく苦しい気持ちになっていた。
私は自分に自信がない。
それに運動は苦手。勉強も嫌い。音楽は好きだけど、その気持ちが募り動いて指摘を喰らう始末。
文化祭はそんな私の唯一の楽しみ。
ただそれもクラスに馴染めていなかった私にとっては地獄のような空間だった。
学校へ入学する4年前、初めて農業を専門とする高校の文化祭へ行った私はワクワクが止まらなかった。
この学校へ通いたい、そう思えた1つの理由にも繋がった。
ただ私たちの文化祭は例年とは異なり質素な文化祭だった。
私が卒業をする学校は他校と違い、農業高校である。
ジャムや農作物を販売している他、今まで習っていたことの成果を示すことも大切だった。


中学の時に恩師が言っていた。


人生で迷った時は心の奥の声を聴け。きっとそれが正解だ。


私はこの言葉を胸にしまって今日も生きている。


生きている上で一番大切なこと。
それは生きているだけで偉いということ。
私自身のモットーであり、宿命だと感じている。


その言葉はこの高校生活で出来た先輩からもらった言葉だ。
私はこの3年間今まで以上に苦痛で仕方なかった。
友達にはある程度恵まれていたが、結局自分は独りだと感じていた。
孤独と隣り合わせだった。
そんな世界を救ってくれたのが、画面での友達。
近くにいるクラスメイトよりも大切で大事な憩いの場所だった。
どんなに苦しくても辛くても学校へ行くのが嫌で嫌で堪らなくても、私には私を救ってくれる最高の仲間がいた。
その仲間は時間が経つと1人、2人、3人と増えていった。
増えていく時間が心地よくて時間なんてすぐ忘れていた。


気づいたらその時間が甘えに変わっていた。
18年生きてきた人生の中で高校生という時間は人生を決める時間だと考える。
大人としての厳しさと子供としての甘えを感じるこの3年間は自分のことをいい意味でも悪い意味でも深く考えていた。その考えすぎによって気持ちが悪化して、 死を恐れていたこともある。


助けて、生きたくない、行きたくない、しんどい、もう無理。


直接伝えられない言葉が画面越しには伝えられていた。
生きる意味なんてない、生きる意味がわからない、なんのために生きてるのかわからない…。


そんな私にくれたあの言葉は私の胸に強く響いた。
こんな私でも生きてて欲しいと言ってくれる人がいる。


自分に自信がなくて、何をやってもダメで、 勉強も運動も取り柄なんて何もない。 強いて言うなら誰にでも分け隔てなく平等に接するように心掛けて いることぐらい。
ただそれも自分の気持ちをコントロール出来なくなると崩壊する。


最後ぐらいいっぱい泣いて、堂々と帰ってこい!


高校生活で出会った大好きな仲間の言葉。
私が最高の仲間だと思えるあの3人は、学校の私の姿を知らない。
それでも、私は仲間を頼り、仲間と共にこの3年間を走り抜けてきた。


何十年先も友達だって思える。
辛い時は何でも話せる、いい事ばかりじゃない
これから先の毎日ずっと言えるあの言葉を。


明日もこの3年間の思い出を力にして、仲間を信じ前に進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ありがとう、友よ。