じぃのヒトリゴト🦀

この世界はちょっと息苦しいくらいが僕にとってはちょうどいい

#76 カレーパンとたまごサンド

 

これは、2人の物語。

惨めでも無様でも逃げ出したくても泣きたくても青春をサバイブし、漫才師として成功を勝ち取っていくふたりの物語。

しかし、断っておくが友情物語ではないし、サクセスストーリーではない。

そしてほとんどの人において全く参考にはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、情熱はある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オーバオールと赤メガネ。


カレーライスと福神漬け。


モデルガンのマシンガンと自虐の竹槍。


カレーパンとたまごサンド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


数々の言葉を生み出してきた若林正恭山里亮太

その多くは、若林が前者で山里が後者であった。

それは演じていた高橋海人と森本慎太郎にも通ずる。

きっと、彼らもなにかがたりていない。たりないふたりなのだろう。

 

若林を演じた髙橋の姿には深く感銘を受けた。常に努力を絶やさずに何事にも一生懸命に取り組む彼の姿は自然と若林本人に通ずるところがあった。ジャニーズであり、King&Princeという肩書きがあるが故にたりないふたりが好きな側としては初めに聞いた時納得がいかなかった。ふたりの半生がドラマ化される。日テレ×ジャニーズという最強タッグにこの最高に出来上がっている山里亮太若林正恭を体現できるのか!?という疑問があった。ジャニーズヲタクであるのは前提にテレビが大好きで生き甲斐である以上このたりないふたりも俺にとってはひとつの要素である。 ただ、予告。第1話、その先を見ていくにあたって髙橋ではなく若林として見ているところがあった。これは俺だけじゃなく、多くのたりないふたりも合致していた。第1話の放送後、Twitterを読み漁ると批判的な声を実力で黙らせるふたりが最高にかっこいいというコメントを見た。若林と山里がたりないふたりとして歩んできた12年間とその人生が最高にかっこよく、その最高にかっこいい人生を演じた髙橋と森本も最高にかっこいいと感じた。これでこそ、俺がジャニーズヲタクである所以ではなかろうか。そんな風に感じることが出来た。

 

山里を演じた森本の姿にも深く感銘を受けた。普段元気で明るく、グループの太陽であるような彼の姿には山里と通ずるものがあるのかと感じた。ビジュアルポスターを見た時には山ちゃんやん!と思ってはいたが、果たして被害妄想と嫉妬に狂う赤メガネを演じることは出来るのか。きっとどんなに優秀な脚本家でも書くことができず、どんなに優秀な演出家でも演出することができない。山里亮太という人物こそがひとつの作品である。森本も山里に対して全く共感ができないと初めは語っていた。自分の妬み、嫉み、恨みを燃料に幸福を持った今でも自虐の竹槍を振り回し戦う男。今回の作品で、このたりないふたりという全ての物語は山里がいないと成立しないことが改めてわかった。山里亮太こそが真のたりてる人間なのではないだろうか。演じた森本は髙橋に抱いた嫉妬心を燃料にこれからの人生を過ごしていくことに違いない。山里亮太という人物と出会い今まで気付かなかった妬み、嫉み、恨みを髙橋にぶつけるのかもしれない。それでこそ、山里の全てを知った森本慎太郎になるのであろう。

 

 

 

 

そして、そのたりないふたりの隣には何も考えてない全ての仕事を受け入れる春日とマイペースで愛情深く天才と言い続けるしずちゃんがいた。

 

その春日としずちゃんを演じる戸塚純貴と富田望生もたりてるふたりなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

髙橋と森本同様に、戸塚と富田も春日としずちゃんにしか見えなかった。

戸塚はクランクアップの時に今まで演じてきた中で1番難しかったと語っていた。自身をオードリーの大ファンであり、リトルトゥースだと公言する戸塚の演じる春日はまさに春日そのものだった。山里と同様に唯一無二の輝きを放つ春日。ケチで自我がなく全てを若林に捧げている春日を戸塚は見事に演じきった。春日のケチが故にプロ級のエピソードを演じる戸塚は愛に溢れていた。今回の物語はほぼ実話であると語っているが、それきっとオードリー・南海キャンディーズ以外の演者の名前だけだと感じる。エピソードに関しては俺が知っている限り全て実話だ。若林と出会い、ナイスミドルになりやがてオードリーとなった。春日本人が春日を演じているように戸塚本人が戸塚の中にある春日を演じているように感じた。春日を演じられるのは春日しかいない。そう思っていたが、今は春日を演じられるのは春日と戸塚しか居ないと感じる。戸塚純貴こそが、もうひとりの春日俊彰なのではないだろうか。

富田は容姿こそしずちゃんより小さく果たして本当に本人に見えるのか不安だったが、喋り方や間のとり方、声のトーンは本人と見間違うぐらい演じきっていた。これが、役者・富田望生の実力ということを見せつけられたような感覚がした。森本は髙橋との対談で仮に全然俺が似てなかったとしてもめちゃくちゃ似てるから絶対大丈夫という安心感があると語っていた。実際に森本と富田の漫才はお互いがお互いを信頼してるからこそ出来る間のとり方やテンポな気がした。深夜に公園でふたりきりでビデオを取りながら南海キャンディーズと比べる。本物の芸人さんみたいな時間を過ごしていると森本は語っていた。M-1での南海キャンディーズは、当時のことを知らない俺にとっては深く心に刺さった。南海キャンディーズの伝説は、それぞれのすれ違いも含めここから始まったのかと思うと気付いたら視界がボヤけていた。森本と富田の4分間の漫才は当時の記憶が蘇ると共に、当時を知らない人たちにとっても深く心に刺さる情熱がある漫才であった。きっと髙橋と戸塚に強い刺激をもたらしたであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若林と山里の家族や交際相手、たりないふたりを引き寄せたプロデューサー、山里のマネージャー、若林を気にかける先輩芸人、オードリーの武器を生み出す親友。

彼らもまたこの作品とたりないふたりにとって、欠かせない人物である。

若林にとって祖母と父の存在は、現在の若林正恭を作っていると言っても過言ではない。そんな若林と同様に山里にとって母の存在が、現在の山里亮太そのものであろう。たりないふたりのことを傍で見守り、支えてきたからこそたりないふたりが出来上がった。その過程を今回の作品で見れたことは、たりないふたりを愛する者として深く感銘を受けることが出来たのだと感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にこのたりないふたりは、まだ無名の明日のたりないふたりへと受け継がれていく。

たりないふたりが2009年から12年間、培ってきたものに対して深く感銘を受けた大阪のラッパーと新潟のDJがいる。

彼らを演じたふたりもまたたりないふたりに感銘を受けている。

芸人を俳優が演じ、アーティストを芸人が演じる。

従来の作品と比べたら、異例なのかもしれない。

でも、彼らのたりないふたりに対する情熱は大阪のラッパーと新潟のDJと同等に感じた。

彼らですら本人に見えるほど、彼らの演技に引き込まれていた。

 

この作品は演者だけではなく、スタッフにも情熱がある。

たりないふたりの細かい所も髙橋、森本、戸塚、富田が丁寧に演じきっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

物語の最後は、たりないふたりの半生がドラマ化され実際に若林や山里と起きた出来事。たりないふたりに深く感銘を受けた水卜麻美が語る。

彼女もまたたりないふたりのファンであり、たりないふたりの物語に欠かせない人物である。

 

そして、この作品を見た俺もなおたりない側の人間であろう。

きっと、たりてる側の人間にはなることが出来ない。

それでも、毎日を生きて明日のたりない俺に受け継いでいこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーバオールと赤メガネ。


カレーライスと福神漬け。


モデルガンのマシンガンと自虐の竹槍。


カレーパンとたまごサンド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはふたりの物語。

漫才師として勝ち取った今でもなおなにものかになりたいと奮闘し、もがき足掻いていくふたりの物語。

言ったおいたように、友情物語ではないし、今現在2023年の段階ではふたりにおいてサクセスストーリーでもない。

そしてほとんどの人において全く参考にはならない、かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、ふたりの情熱と物語はこっからも続いていく。